鶴と、炭焼き 〜やまの匠に学ぶ、循環する島ぐらし〜
天草と熊本を行ったり来たりしている、ふるさと住民の木下です。2拠点生活の次なる目標は、やっぱり島暮らし。完全Uターンへのカウントダウンも870日を切り、この島にガチで根を張る術を身につけたくて、島の先人たちから暮らしの知恵をお借りしているこの頃です。随所で垣間見えるのは、森と海の循環のなかにある、天草の島暮らしのリアル。都市部の暮らしでは気づかぬふりをして生きていられることも、ここでは、さまざまな魅力や課題として迫ってきます。SDGsとかなんだとか、ともするとブームや商売や投資の機会としてとらえられがちな言葉も、天草のくらしの隙間から眺めると「当たり前のことから目を背けずに生きること」として感覚的にとらえられ、さまざまなことが腑に落ちるのです。
山間の集落を支えた、炭しごと
そんななか、受け継ぎたい暮らしの知恵として学ばせていただいていることのひとつが、「炭焼き」です。先日は、山仕事の師のひとりとして仰ぐ富永さんご夫妻の炭窯を訪ねました。天草町下田と福連木の境に位置する山間の集落。みかん畑の下に設えられた炭焼き窯は、お父様がご存命中に親子で手掛けたもので、築20年ほどが経っていました。
地山(ぢやま)を丸くくり抜き、耐火煉瓦や煙突で窯床をつくり、雑木を並べてイナマキ(稲藁で編んだござ状のもの)をかぶせ、土をのせて焼いたという炭窯は、今も現役。一回で約2トンほど木を炭に焼き上げます。
徳川幕府ゆかりの樫と、100回目の炭焼き
その日は奇しくも、この窯を使い始めて100回目の記念すべき日。御神酒と米と塩をお供えし、感謝の念で手を合わせて、作業がスタートしました。前回焼いた樫炭を取り出し、軽トラの荷台に並べるのですが、炭と炭が擦れることで響く音の神聖なことといったら!樫の生木同士を叩いてみるとぼわーんとやわらかな音がするのですが、炭化した木は高めで澄んだ音を発します。窯の中から炭の擦れる音が響くたび、心が洗われるような気持ちになりました。ちなみに、樫は天草の歴史を語る広葉樹のひとつ。硬くて折れにくい天草の樫はその質の良さから江戸時代、徳川幕府の槍の枝にも用いられ、官山になった山もあるほどです(現在も国有林となっています)。
さて。すべての炭を取り出したらいよいよ、100回目の炭焼きへ。前日までに伐り出し、細くわっておいた青竹を、空っぽになった窯の床に敷竹として並べます。その上に、炭材とする立木を、根本を上にして並べていきます。敷竹や並べかたは、炭焼きの際に木から出てくる水分をうまく排出するための工夫なのだとか。
立木が隙間なく詰まったら、窯の天井や入り口を隙間なく塞ぐように、刺し木を詰めていきました。窯の入り口や壁、天井の近くは燃え切ってしまいやすいため、炭材にしない雑木を用いるのも無駄をうまないポイントのようです。
窯の中の準備が整ったら、次は焚口づくり。前回の炭焼きでつくった壁を砕いて再び粉状の赤土に戻し、水を加えながら練っていきます。練った赤土で耐火レンガを積み上げながら、2重の焚口と空気穴をしつらえたら準備完了。
師匠から「はい」とチャッカマンを手渡され、恐れ多くも記念の着火をさせていただきました。ギャーラ(焚きつけ)に火をつけ、細い枝から順にくべ、木に火がうつったところで少しずつ太い枝を投入します。
炎はいつしか勢いを増し、焚口から噴き出すほどになりました。ここから2〜3日は適度に火を入れながら釜の中の熱をコントロールし、10日ほど冷まして取り出すのが富永さん流の炭焼き法。100回目の炭はどんな仕上がりになるのでしょうか。次の窯出しが、楽しみでなりません。
鶴の舞う、尾根で思うこと
ところで、この日はお昼ごはんに奥様お手製の煮しめやおむすびをいただきました。出汁の旨味がしっかりきいた煮しめがあまりにも美味しくて懐かしく、つくりかたを教わっていると、頭上から「コウ、コウコウ」と何やら声が聞こえてきました。
木立の隙間に目を凝らすと、頭上を舞っていたのはツルの群れ。シベリア〜中国大陸を起点とし、長崎や天草の上空を経由して越冬のため、鹿児島県出水市へ向かう一行です。2022年は11月14日現在、6548羽の飛来が確認されているそう。
クレインパークいずみ
https://www.city.kagoshima-izumi.lg.jp/cranepark/
この日、ツルが舞っていた尾根は、町と町の境目にあたり、風力発電の風車の建設予定地となっているようです。計画にあたり、さまざまな植生や生態系の調査なども行われたそうですが、想定外の影響があるのではないかとちょっぴり心配にもなりました。
戦後から復興を遂げた、日本の高度経済成長期。産業や生活を支えるエネルギーは、石炭や薪・炭から、石油や電気へと変化し、大量生産・大量消費の時代となりました。天草の里山里海の暮らしも大きく様変わりし、山の中に点在していたはずの炭窯も数えるほどになりました。近代化の裏側でもたらされた、環境や生態系の変化。そして、気候変動といった地球規模の変化も相まって、ひとと地球の調和について、多くの人が考える機会も増えた今。
天草に身を置いて感じるのは、都市部の暮らしとは対極にある「不便のなかにある豊かさ、尊さ」です。ニュートラルに心を澄ませ、そうしたものに目を向け、慈しむ機会をくれる「地の縁」「人の縁」があることに、心から感謝しています。
広葉樹についての思いを綴った「天草は、森の島」はこちら
http://shimanotane.jp/forestisland-amakusa20221113/
文責 木下真弓(シマノタネ)