盆ニカエル 〜天草のお盆の風物詩〜
熊本と天草の2拠点生活を送る、ふるさと住民の木下です。Uターンまでのカウントダウンも960日を切り、Uターン後の住まいやくらしのありかたについて思いを巡らせる毎日。そのたびに国立公園の恵みや営み、くらしのインフラ、それらをつないでくれた先人たちへの感謝がつのります。そんななか、今年も無事にお盆を迎えることができました(トップ画像は、お墓参りを待っていたアマガエル)。
毎年この時季になると、脳裏によみがえる風景があります。
お盆の原風景
祖父母の家が近かったこともあり、幼少期から何かと「むかえる側」だったわが家。お盆や正月には、帰省してくるやうち(親族)たちと賑々しく過ごしたものです。なかでもお盆の恒例が、精霊流し。今では初盆を迎える家の行事となっているようですが、わが家では、初盆でなくとも精霊舟をこしらえるのが常でした。それも藁ではなく、2mほどの木造舟。船大工をしていた祖父の影響か、毎年、板や木材に墨壺で直線を引き、のこぎりで切り揃え、カンナで削って組み立てるという一連の作業を、男衆は誇らしげにやっていました。
(↑動画は、2018年の精霊流しの風景です ※わが家の舟ではありません)
その傍らで木屑を集めて船やロボットを自作してはごっこ遊びに興じたり、スイカの種飛ばしや三角氷(三角形の袋にはいったかき氷)のお使いに走る子どもたち。女衆は台所に集まり、井戸端会議をしながらお供え用のお団子や昼餉の支度です。ギコギコトンカンという大工仕事の音の間で、それぞれの集う場所が話し声や笑い声で満ちていく・・・それが、私の大好きなお盆の原風景です。
孫の世代がそれぞれに所帯を持つようになると少しずつ帰る場所が変わっていき、祖父母が他界してからは、そんなお盆の恒例行事もなくなりました。それでも、脳裏に刻まれた幼少期の音や映像は、この時期になると鮮明によみがえります。
わがやのお盆のすごしかた
精霊舟をつくることこそなくなりましたが、迎え火を灯し、お供えをつくる習わしは今でも続けています。ご先祖さまをお迎えする8月13日の朝につくるのは「迎えだご(団子)」。ご先祖さまが座り心地のいいように、平たく丸めるのがポイントです。
14日には「まぜめし」を供えます。まぜめしは地域や家によっていろんなものがあるようですが、私が今年つくったのはおばの得意料理だった「メンハのまぜめし(ワカメ のまぜごはん)」。春に干しておいたタケノコとダイコン、ワカメ を水で戻し、ショウガやニンジン、ゴボウなどと一緒に甘辛い出汁で煮含めて、固めに炊いたごはんに混ぜこみました。作り方を教わる前におばが他界したので、材料諸々、記憶をたどるよりほかなくて、今年の出来は80点といったところ。まだまだ模索は続きます。
15日につくるのは、茹で素麺。拍子切りにしたカライモ(サツマイモ)を衣にくぐらせ、蟹を模した「ガネ揚げ」や野菜の煮しめも定番です。そして、送り盆としてつくるのが、「送りだご」です。米粉を使ったお団子を俵型にするのは、ご先祖さまが持ち帰りやすくするためだとか。
いずれも素朴だけれどホッとするふるさとの味、わが家の記憶。子どもたちにも、心のよりどころとなるような記憶をつないでいければと思うこの頃です。
そういえば、子どもの頃はお墓参りに行く際にはたくさんの花火を持ってでかけたものですが。お墓参りでロケット花火や手持ち花火をするのが全国共通のならわしではないと知ったのは、大人になってからのこと(長崎に近い天草ならではの光景のようです)。子どもたちにつなぐのは音も彩りも豊かな記憶にしたいので、今年は久しぶりにお墓で花火でもしようかと思います。
エピローグ
この記事を書いているのはお盆の中日〜送り盆にかけてのことでした。ご先祖さまたちがこの世に帰ってきて、いつもよりも近くに感じられる期間でもあります。さまざまな事情でまだまだ帰省をしがたい状況にある方もいらっしゃるだろう今年ですが。私はそんなとき、この歌のメロディが思い浮かべます。
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に千の風になって
あの大きな空を吹きわたっています
(「千の風になって」より)
いろんな解釈や宗教観、祈りのかたちはあるのでしょうが。こんなときだからこそ、身近な空や水辺といった居心地のいい場所に身を置いたり、故人が好きだった花や食べものなどを囲み、ふるさとや親族、ご縁のある方々を偲んで過ごしてみるのもいいかもしれませんね。どうぞ、それぞれの居る場所で、ゆたかな時間をお過ごしいただけますように。